R. シュトラウス / 交響詩「ドン・ファン」作品20

交響詩「ドン・ファン」は1887~1888年に作曲されたリヒャルト・シュトラウス2作目の交響詩である。

シュトラウスは、1864年にミュンヘンで生まれた。宮廷管弦楽団のホルン奏者フランツ・シュトラウスを父親に持ち、幼少期からピアノやヴァイオリンを習う。6歳の頃にはすでに作曲に興味を示しており、早期に音楽的才能を見せている。1886年、シュトラウスは「ドン・ファン」に先立つ形で交響詩「マクベス」を手掛けていたが、指揮者であり師であるビューローの指摘を受け、後に改訂を行っている。したがって、世に出たシュトラウスの交響詩としては「ドン・ファン」が初めてのものとなった。初演は1889年、ワイマール宮廷管弦楽団においてシュトラウス自身の指揮によって行われ、目覚ましい成功を収めた。同年にはマーラーの「交響曲第1番」の初演も行われており、ドイツの音楽学者カール・ダールハウスはこの年を音楽史における近代の始まりとしている。

ドン・ファンはスペインの伝説上の人物であり、好色な男性として17世紀以降戯曲や小説、詩など様々な題材に取り上げられている。この曲ではドン・ファン伝説そのものではなく、19世紀前半のドイツの詩人ニコラウス・レーナウの詩が基になっている。レーナウの詩においてドン・ファンは放蕩者というよりも至高の女性、理想の美を追い求める理想主義者的でストイックな人物として描かれており、シュトラウスはその詩の一部を総譜の冒頭に掲げている。以下にレーナウのドン・ファン像を簡潔に表現した一節を示す。

“出でよ、そして絶えず新たに勝利を求めよ 青春の燃える鼓動が躍動する限り!”

女性を巡ってめまぐるしく変化するドン・ファンの感情、その理想への情熱と失意が交互に表現され、熱情を表すフレーズや甘美なメロディーが次々と紡がれる、終始聴き所の絶えない作品である。

 

曲の構成としては基本的にソナタ形式を採用しているが、主題に繰り返し回帰することから、ロンド形式と折衷した形とも言われる。

「悦楽の嵐」を表す主題の強烈な上昇音型で幕を開け、ヴァイオリンにより伸びやかにドン・ファンを表す第1主題が続く。テンポが急速に緩み所々に女性を想起させるフレーズが現れながら勇壮に音楽は進むが、雰囲気が一変。艶めかしいヴァイオリン独奏によりドン・ファンが女性を口説き、恍惚としたひとときに身を委ねる。しかし感情が最高潮に達したかと思うと、現実に引き戻され三連符で表される落胆に打ちひしがれてしまう。悦楽の嵐の主題が再び現れ次の女性を探し求める情熱に燃える。新たな女性に出会ったドン・ファンのヴィオラとチェロの濃密なフレーズによる訴えと、それを拒むようなフルートとのせめぎ合いが過ぎると、甘美なオーボエの独奏に導かれて夢想的なランデヴーへと進む。

それでも理想は遂げられず、ホルンがドン・ファンの満たされない渇望を表す第2主題を高らかに奏でる。そのまま謝肉祭の場面へなだれ込み、きらびやかなグロッケンが印象的な焦燥感の中、これまでに提示された主題が現れては消えていく。急激な転落が訪れ、空虚の中悲痛な回想に暮れるが、曲は再現部に進み、悦楽の嵐の主題が復活する。今度はホルンとチェロにより第2主題が演奏されると、オーケストラ全体が感情の高まりと共にクライマックスへと向かう。改めて悦楽の嵐の主題が登場し、加速して盛り上がりを見せるが、突如として暗転。自らの理想が叶わないことを悟ったドン・ファンを絶望感が襲い、悲劇的な結末を暗示しながら鼓動が止まるように、静かに曲は終わる。

 

参考文献:

岡田暁生(2014)、『作曲家◎人と作品 リヒャルト・シュトラウス』、音楽之友社

原田茂生ほか(2000)、『リヒャルト・シュトラウスの「実像」』、日本リヒャルト・シュトラウス協会

門馬直美ほか(1993)、『作曲家別名曲解説ライブラリー⑨ R.シュトラウス』、音楽之友社